最近ようやく住民票を都内から仙台に移し、仙台でも徐々に撮影することが多くなってきました。企業の撮影も多いですが、徐々に知り合い経由で人に見せない写真の撮影もしています。
撮影の現場に立ち会っていると、最初は緊張し、堅くなっていた女性たちが、ふとした瞬間に、まるでスイッチが入ったかのように変わっていくことがあります。
理性から本能へ変わる瞬間
最初は「普通に綺麗に撮られたい」と話していた彼女ですが、少しずつシャッターを切るうちに、表情が柔らかくなり、ポーズに自信が出てきて、身体を覆っていたシャツを、静かに外すようになりました。
カメラのレンズ越しに、自分自身を見つめるように、脚を組み替え、下着を指でずらし、挑発するような視線を向ける。時に恥じらいを滲ませながらも、理性を超えて本能のままに動くようになる瞬間を目にするのが本当に好きです。
撮られることは、自己解放の行為
彼女自身が「見せたい」「晒したい」と心から感じた行動でした。
撮られることは、単なる記録ではありません。カメラの前で、日常では抑えてきた欲望や衝動を、解き放つ行為でもあると、私は思っています。自分を見せるのではなく、自分を”解き放つ”ために、カメラの前で乱れる。
理性の鎧を脱ぎ捨て、本能だけで動く身体。
その姿こそが、最も美しく、最も真実に近いのかもしれません。